旧逢坂山トンネル

関西における鉄道は、明治7年(1874)5月11日に大阪・神戸間の営業開始により始まり、明治9年に京都の大宮通り仮停車場まで延伸、明治13年(1880)7月には、琵琶湖の畔である滋賀県大津にまで達しました。
旧逢坂山トンネルは、大津延伸に伴い大谷・馬場駅間に掘削されたもので、延長は664.8メートルを測る、我が国最初の山岳トンネルです。また日本人技術者のみで施工した初めてのトンネルでもあり、工事監督には6等技手であった国沢能長が当っています。
工事は、明治11年10月5日に東口から開始、12月5日には西口からも始まりました。施工は藤田組と吉山組の共同組織(現在のJVみたいなもの)であり、現場作業を行う坑夫は地中掘削に慣れた、工部省直営の生野銀山から動員されています。工事中に坑夫2名、人夫3名の埋死者を出しましたが、明治13年6月28日に竣工しました。
監督だった熊沢は、本工事の功績により3等技手へと一気に昇進しています。

位置図1は、旧逢坂山トンネルの位置を示した明治45年の地形図で、描かれている鉄道線は大正10年(1921)7月31日まで使用された旧東海道本線です。

位置図1
位置図2

位置図2は、現在の地図にトンネルの坑口を示したものです。西口の表示が道路と重なっていますが、この道路が名神高速道路です。
東口は、現在でもほぼ旧状を留めた形で残っていますが、西口は名神高速道路建設時に埋められてしまい、高速道路の路面下約10メートルの位置に現在は埋没しています。(現在も良好な状態で埋没しているものと考えられます)
それと同時にトンネル西口に隣接していた大谷駅跡も、同様に埋められてしまいました。地図に見える大谷駅は京阪電気鉄道京津線の大谷駅であり、旧東海道本線大谷駅とは位置も含めて異なるものです。『古写真で見る明治の鉄道』世界文化社の135ページに、西口坑門上から大谷駅全景を撮影した貴重な写真が掲載されていますが、それによると鉄道は周辺の家々よりもかなり低い谷底を走っていたことがわかります。

写真1は、旧逢坂山トンネル東口の全景です。左が明治13年に竣工した最初のもので、この時は単線でしたが、明治31年(1898)4月15日の複線化に伴い、右側の上り線用トンネルが新設されました。

写真1

写真2・3は、それぞれの近景です。

写真2
写真3

写真4は、明治13年竣工トンネルの構造状況です。掘削はノミやツルハシを主として用いた手掘りで進められ、覆工はレンガ積み、坑口は花崗岩の切石で畳築しています。

旧逢坂山トンネルは、鉄道史のみに留まらず、近代史や土木史の視点から見ても極めて重要な歴史的遺産であると言えます。
これらのことを踏まえて、昭和35年には鉄道記念物に指定されています。
また、周辺には幾つもの鉄道史に重要な遺構が残されているにも関わらず、残念ながら一般には余り知られていないのが現実です。
今後は、これらを一括して保存・活用し、様々な活動を介して周知することが必要だと思われます。