3等寝台車周知用チラシ

日本で初めての3等寝台車と言えば、スハネ30000形式。
この形式の登場は、その後の3等寝台車やB寝台車の基本的な形を確立した点において、日本の寝台車史上画期的な車両として位置づけられます。

下の画像は、その3等寝台車が誕生した時に周知用として作成されたチラシです。
「寝心地のよき 三等寝台が出来ました」と、赤で記されたタイトルが目を引きます。

3等寝台周知用チラシ

チラシには上部に車両平面図を描き、その下に
・構造と価格
・連結列車
・連結位置と両数
・寝台番号の呼称
・料金
・寝台券
・御注意
の7項目を記し、あわせて車両断面図も掲載してあります。
この中で、「構造と価格」において、車両製作費が1両あたり2万2千円であったこと。
「寝台券」の項目では、乗車の4日前から寝台券を発売すること。
「御注意」には、寝具や枕の設備は無いが、1・2等寝台と同じく係員が世話をすることなど、興味深い事柄が記されています。

スハネ30000形は、試作車的要素が強く昭和6年に10両が作られ、その改良形の量産車としてスハネ30100形が昭和7年から12年までに110両が作られました。
このため両者を比較すると、車体の内外に数々の違いが見られます。

例えば、このチラシはスハネ30000形のものですが、平面図を見ると、車両の両端にあるトイレと客室を区画する扉がありません。
つまり、トイレと客室は同一空間内に存在するわけで、トイレに近い寝台では臭気が漂って来るものでした。また、このような構造でしたので、客室内での走行音も大きかったものと思われます。
そこで量産形では、下の画像のように客室とトイレを画する扉を設けて改良を行っています。
このチラシは、そうした意味においても初期の様子を伝える貴重なものと言えます

赤線が扉増設部分
赤線が扉増設部分

スハネ30000形を語る時に「カーテンは無かった」と言われることがあるのですが、この答えは正確でもあり、不正確でもあります。
当初は、下の画像のように通路と寝台を画する頭の部分に短いカーテンが設置されていました。

スハネ30000形

ですが、さすがに「これでは短い」と判断されたようで、スハネ30100形では下の画像のように長くされ、通路側から寝台側にカーテンレールで回り込む構造になり、顔の部分までがカーテンで覆われるようになりました。
上の2枚の画像を見比べると、その違いがよくわかると思います。

スハネ30100形(スハネ30000とのカーテンレールの違いに注目)

チラシには、「一、二等寝台同様係員をして御世話を致させます」と記されていることから、各車両に列車ボーイが乗務していたことがわかります。
しかし、図面を見ても列車ボーイの部屋(車掌室のような)は無く、トイレの向かいに「腰掛」(赤丸の部分)が用意され、そこがボーイの待機場所となっていたことがわかります。
列車ボーイは、一晩中この腰掛に座って待機していたのでしょう。なかなか大変な乗務だったと思います。

列車ボーイ用腰掛位置図

本資料は、一般向けに印刷された周知用チラシですが、そこに見えるのは、庶民的な料金(上段寝台が80銭。当時の新聞購読料は90銭であった。)の3等寝台車を普及させようとする鉄道省の姿勢。
昭和6年前後は、日本の経済力が戦前のピークに達しつつあった時代で、それに連動して人の動きも活発だったと思われます。
そうした時代背景に登場した3等寝台。鉄道省の意気込みが感じられるチラシです。