写真は、1978年(昭和53)に青梅鉄道公園で撮影された110形蒸気機関車ですが、2019年8月31日をもって同公園での展示が終了し、修復ののち2020年6月に鉄道発祥の地である桜木町駅にオープンする「JR桜木町ビル」1階に展示されることになっています。
本機が、日本における鉄道開業にあわせて輸入された最初の機関車群10両のうちの1両であることは、多くの先学諸氏が紹介されています。
1871年 Yorkshire Engine 社製。
重量:23.01トン
全長:7213ミリ
動輪径:1245ミリ
本機の現況とメーカー写真との比較によると、煙突、キャブ周辺を中心に大きな改変が認められ、特に煙突の形状はメーカー写真ではダイヤモンド形であったことが確認できるものの、現況ではご覧のとおりストレート形になっています。
1875年(明治8)頃の写真では、既にストレート形の煙突になっていることから、初期の段階で改造が行われたものと考えられます。
主な履歴は次のとおりです。
本機は元々阪神間を担当する西部局への配属を予定していたと言われています(『新編日本鉄道史』)が、実際は京浜間担当の東部局に配属されました。
1880年11月には神戸局へ転出したものの、1885年4月に再び東部局へ移管され、その後、日本鉄道へ貸出され品川・赤羽間で使用されました。
日本鉄道への貸出期間は短く、1886年秋から1887年冬には江尻(現清水)で東海道線の建設に使用されたのち東部局へ戻り、1899〜1901年頃には北海道庁鉄道部へと再び貸出されています。
そして、1906年には新橋駅で暖房用として使用されているのが目撃(堀内敬三氏)されており、その後、西部局および名古屋局に転出したものの、1920年6月には東京局へ転属し、1923年12月に大宮工場「参考品陳列館」にて保存展示が開始され、1924年4月10日に廃車となっています。
この時に、展示・教育用に内部構造が見えるようにカットモデル化されています。
戦前、戦中、終戦後と長期間にわたり大宮工場で保存・展示が続きましたが、特に終戦後は放置に近い状態であったことが、当時撮影(撮影:沖田祐作氏)された写真から知ることができます。
そして、1962年10月19日の青梅鉄道公園開園に伴い、同年9月10日に移転・入園しています。
この110形機関車で特筆されるのは、F. C. クリスティ(京浜間担当汽車監察方)が、R. V. ボイル(建築技師長)へ提出した報告書に「10番(110形)機関車は形を作っただけで、工作が悪く信頼できない」という趣旨を書き残したことだと思います。
このことは、川上幸義が「1885年6月までの走行距離は他の機関車の40%にも満たなかった」(『私の蒸気機関車史』上)と指摘したことに繋がるものと言えます。
上記のことから本機の運転成績は悪く、大きな活躍の場も無かったことは車歴からも伺い知ることができ、110号機関車はお世辞にも名機関車と呼ぶことはできません。
しかし、それとは逆に大正時代中頃という鉄道文化財保存思想が未発達であった時代に、鉄道創業期の車両であることが認識され保存の策が講じられたのは、現在に繋がる鉄道文化財保護思想の出発点として、歴史に記憶される機関車であると言えるのではないでしょうか。