ホーム待合室に転用された南海鉄道電5形(モユニ521形)

昭和51年4月1日に全線廃止となった福井鉄道南越線。
同線中間駅であった村国駅(地図1)には、一目で廃車体利用とわかるホーム待合室がありました。

地図1(昭和5年修正 5万分1)

福井鉄道南越線は、大正3年に開業した武岡軽便鉄道が前身で、北陸本線武生駅(地図1赤四角枠)に隣接した社武生駅を起点とし、鯖江市戸丿口駅(戸丿口・粟田部間は昭和46年9月廃止)を結んでいた路線です。
村国駅は、社武生駅から3駅目の武生市郊外(現在では住宅街)の駅(地図1赤円枠)であり、相対式2面2線を有していました。
駅本屋とは反対側の武生方面行きホーム上に待合室として設置されていたのが、南海鉄道電5形です。(写真1・2)

写真1(到着したのは社武生行き電車・写真奥が戸丿口方面)
写真2(田んぼの中の駅であるが、現在は住宅街に変容している)

電5形は、大正9年に川崎造船所で製造された旅客用電車でしたが、昭和15年に座席の撤去等の改造を受け郵便荷物電車になっています。
その車両を昭和23年に福井鉄道が4両の譲渡を受けたのですが、譲渡されたのが車体のみだったので、自社で走行部を調達し、合わせてロングシートの設置を行い、南越線(モハ81・82)、福武線(モハ91・92)に2両づつ入線させています。
大正9年来の木造車体は老朽化が激しく、昭和31年に日本車輌において車体の新造更新が行われ、その際に旧木造車体は解体されずに生き残り、モハ81の車体が南越線村国駅、モハ92の車体が同じく南越線北府駅のホーム待合室に再利用されています。

写真3

写真3は、写真1からの拡大画像になります。
商店の看板が取り付けられ、窓や扉が塞がれたり、かなり傷みが激しいものの、それでも電5形の原形をよく留めているのが、お分かりになるかと思います。
なんと言っても、本車体最大の特徴である先頭部分のふくよかな丸み、そして運転席の5枚窓は現役当時の姿を明瞭に留めています。
もともと電5形の側面扉は3扉でしたが、昭和15年に郵便荷物電車に改造された際に、4扉へと増やされています。写真3でも手前運転席脇の1枚(塞がれた状態)、開かれた2枚、そして奥側運転席脇の塞がれた1枚(奥の女性が立っている部分)の4扉全てが確認できます。
また、側面窓の多くは板で塞がれてしまっていますが、中央の窓は5枚全てが残されており、一部には窓枠中央の桟も残り、原形をよく留めています。

本写真の撮影は昭和46年8月19日ですが、本車体がいつ頃までホーム待合室として使用されていたのかは不明です。
ただ、当研究所が所蔵する昭和47年9月28日撮影の写真にも車体が写されていること、そして昭和51年4月の南越線廃止時には既に撤去されていることを考えると、この間に解体撤去が行われたものと考えられます。

木造車体が製造から五十数年もの間、風雨に晒されながらも使用され続けていたことに驚かされます。
現在と異なり鉄道施設の文化財としての認識が低かった当時では仕方がないことですが、保存されなかったことに残念な気持ちが強く残ります。
本車体は、鉄道車両としての歴史的価値の他に、大手私鉄の車両が終戦直後に地方の小私鉄に譲渡された歴史的背景も含めて、魅力的な鉄道文化財であったと思われます。