昭和47年の熊本市電

熊本市電の運転開始は、他の大規模な都市と比べると意外と遅く大正13年8月1日。
それ以前には、明治40年から熊本軽便鉄道(後に大日本軌道熊本支社)による市内鉄道があったのですが、蒸気鉄道であったことから評判が悪く、市民の間には電車による運転が望まれていました。
大正10年11月になると市内電車の運行を目指して熊本電車会社が発足しましたが、資金難のため12年4月に敷設権を市に譲渡。市は同年12月に工事を開始し、翌13年7月に竣工。8月1日より営業を開始しています。

熊本市電の面白いところは、多くの都市が昭和30年代に到来した車社会の波に飲み込まれ、多くの路線を廃止して市バスへ移行しているのに対し、熊本の場合は市電が残り市バスが全廃となっているところではないでしょうか。
もちろん過去には路線の一部廃止が行われていますし、全廃計画もありましたが、車依存社会への反省や、市民からの要望により現在でも運行が続けられています。

熊本駅前(昭和47年2月21日)
熊本駅前(昭和47年2月21日)

上の2枚はともに1350形。
昭和35年に東洋工機で製造された車両で、元は350形を名乗っていましたが、ワンマン化改造に伴い1350形へと変更されています。
6両が製造されたのですが、その増備理由が昭和35年の夏・秋に開催された熊本国体に際しての輸送力増強ということでした。
国体輸送のために車両の新造を行うことは珍しく、車両史の上で記憶されていい出来事だと思います。

熊本駅前(昭和47年2月21日)

上の画像は右に写っている1080形が主役。
昭和29年に180形として東洋工機で2両、新木南車輌で5両が製造されていますが、昭和42〜43年に行われたワンマン化改造により1080形へと変更されたものです。
写真の1082は新木南車輌製ですが、1080形は同社が製造した最後の車両になります。
ごく短期間の存在であり、今ではほぼ忘れられた車両メーカーとなってしまった新木南車輌の数少ない製品として、鉄道史史上貴重な存在です。