1974(昭和49)年8月13日、画像1に示す京福電気鉄道越前本線の勝山〜京福大野間8.6kmが廃線となりました。
京福電気鉄道の前身の一つである京都電灯が、福井で電力事業を開始したのは古く、1896(明治29)年5月28日に逓信省へ電力事業の開始を申請したことに始まります。
1898(明治31)年に福井支社を開設し、翌年2月には福井で初めての水力発電所である宿布発電所(出力80kw)を竣工。5月21日から600灯の電灯へ配電を始めています。
その後、京都電灯は福井での電力需要増加を見越し発電所の増設を行ったのですが、見込み通りには契約が伸びず、余剰電力を産むこととなりました。
その余剰電力に目をつけたのが、当時の福井県知事中村純九郎と県政界で、その余剰電力を利用して福井から大野を結ぶ電気鉄道を走らせるという目論見でした。
1910(明治43)年8月24日付けで、京都電灯は福井〜大野間を結ぶ「軽便鉄道敷設申請書」(画像2)を鉄道省に出願し、同年10月6日に免許の交付を得ています。
同社では、免許交付以前の9月から測量調査を開始していますが、用地買収が難航したことから、結果として急カーブと急勾配が連続する線形となってしまいました。
今回ご紹介する下荒井隧道は、当初の計画では山と九頭竜川に挟まれた狭い山裾を縫うような線形となっていたのですが、九頭竜川の氾濫が想定され安全性に疑問があったことから、尾根の斜面中腹を切り開き一部をトンネル構造とする線形に変更されました。これが全長65mを測る下荒井隧道です。
敷設工事は新福井〜大野までの全線で同時に開始されましたが、開業は工事の進捗状況に合わせて画像3に見るように、3期に分割して開業しています。
大正3年に開通した下荒井隧道(画像4・5)ですが、山の中腹を等高線に沿って走るため、積雪の多い当地では雪崩などの自然災害を受ける可能性が高く、また勾配が険しく低速運転であったことから、山腹を貫く全長521.4mを測る新トンネルを設けることになり、工費30万円と工期1年を費やし、1924(大正13)年12月20日に新トンネル(画像5)が開通し、山腹を縫うように走る旧線は、大正3〜13年の僅か10年間使用されたのみで廃止となりました。
さて、下荒井隧道の現状ですが、大正3年開通の旧線が極めて良好な状態で遺存しています。
新線の方も遺存しているものの、下荒井駅側が民有地になっており、トンネル内が物置として使用されています。
大野側はアンテナ設備が接地されているものの、ほぼ旧状を留めています。