南部縦貫鉄道。
なんとも壮大な名称ですが、実際には名称とは真逆の小さな私鉄が、青森県にありました。
開業は、昭和37年(1962)10月20日。千曳(西千曳)〜七戸間15.4kmでしたが、その後昭和43年(1968)8月に西千曳〜野辺地間が延長され20.9kmの営業距離なり、平成9年(1997)5月6日に休止、平成14年(2002)8月1日の廃止に至まで、この営業距離を保っていました。
本鉄道は当初の予定では、年表にも記されている通り、東北本線との接続駅であった千曳から七戸を経て三本木に至る路線長27kmを測るものとして計画されました。
そして、将来的には更に五戸まで延長、または三本木〜五戸間は他の鉄道(具体的には不明)に接続するものとされていましたが、実際には最初に開業した七戸までで、当初の予定を達成することはできませんでした。
仮に当初の予定通り、五戸まで開業していたとすると、五戸〜尻内(現八戸)間は戦前から南部鉄道が開業しているので、野辺地〜七戸〜三本木〜五戸〜尻内という経路が出来、内陸部から東北本線への連絡が容易に行えたものと思われます。
南部縦貫鉄道株式会社期成同盟会設立時の設備概要を、昭和27年度天間村村議会資料により示すと、下記のようになります。
軌間:1,067mm
最急勾配:1000分の25パーミル
曲線最小半径:300m
施工基面幅:4m
用地面積:4,354a(本線、停車場、踏切、川道付)
停車場数:6(千曳、坪、天間林、七戸、大深内、三本木)
橋梁:6ヶ所
溝橋:11ヶ所
動力車両:ディーゼル機関車2両、ディーゼル客車4両
建物:停車場157坪5合、諸建物165坪(鉄道部、倉庫機関車庫)
旅客及貨物ホーム延長:延490m
通信線延長:27km
通票閉塞機:10台
建設費総額:3億7,800万円
本鉄道は、当初より旅客輸送はもちろんのこと、それ以上に貨物輸送を経営の柱に置いていました。
一般的には、あまり知られていない会社ですが、東北地方の経済振興促進を目的として、昭和11年に東北開発株式会社という国策会社が設立されています。
この会社は、戦後も組織や事業を再編しながらも存続するのですが、その事業の一つとして南部地方に豊富に産出する砂鉄に着目しました。そして、その砂鉄事業を担う会社として「むつ製鉄株式会社」を設立しています。
南部縦貫鉄道では、東北砂鉄天間鉱業所から産出する砂鉄を、年間十数万トンの規模で「むつ製鉄」へ輸送することを目論んでいたのですが、昭和36年頃から砂鉄需要が急激な減少に転じたため、昭和40年4月に「むつ製鉄」は一度も生産を行わないまま解散してしまいました。
このため、南部縦貫鉄道による砂鉄輸送も計画のみで実現することはなく、これを収益の大きな柱と考えていた同社の経営を著しく圧迫することになってしまい、旅客増が全く見込めない中、経営再建の努力も虚しく解散へと至りました。
写真1は、国鉄野辺地駅の乗換連絡橋からの撮影で、キハ10-1。他に同形がもう1両在籍しているレールバスで、南部縦貫鉄道のシンボル的な車両でした。
写真2は、そのレールバスの運転席。運転士の右に写っている変速機レバーに注目。子供の頃に乗ったバスと同じです。
写真3は、中野川橋梁を渡るキハ10-1。10時半過ぎの下り列車ですが、乗客を数えると7人ほど。
写真4は、3と同じ場所で11時過ぎの下り貨物で、機関車はD45形。貨車は国鉄のワム80000形です。
写真5は、天間林駅16時半過ぎの秋の夕暮れ。
左はレールバス、右は国鉄キハ10-45を昭和55年に譲渡され、キハ10-4となったもの。当初は朝夕の多客時に使用されていましたが、南部縦貫鉄道には大形すぎたため、後にはほとんど使用されることがなくなりました。
写真6は、七戸駅の右はレールバスと、左はキハ10-3。レールバスの奥に小さく写るのはキハ10-4。
キハ10-3は、昭和37年11月に常総筑波鉄道から購入した車両で、元々は昭和12年製のガソリンカーであったのを、昭和26年11月にディーゼル動車化したもの。貴重な車両でしたが、キハ10-4の導入時に廃車、解体されてしまいました。
写真7・8は、七戸駅車庫でのキハ10-1(手前)とキハ10-4(奥)。こうして並ぶと、国鉄型気動車とレールバスの大きさの違いがよくわかります。
キハ10-1は2と共に、南部縦貫鉄道開業時に準備された全長10,296mm、幅2,600mm、高さ3,165mmを測るレールバスで、富士重工業宇都宮工場で作られました。エンジンは日野のバス用ディーゼルエンジンDS90を搭載し、他の機器類もバス用を流用しています。
最初に記したように南部縦貫鉄道は、平成14年に廃止されてしまいましたが、幸いにも「南部縦貫レールバス愛好会」の手により、旧七戸駅構内で動態保存がされており、見学可能となっています。
耐用年数を大きく越えた貴重な車両が、地元を中心とした人々の努力により保存されていることに、最大限の敬意を表したいと思います。