「今庄まちなみ情報館」の今庄駅ジオラマ

北陸本線今庄駅。
今では、時おり普通列車が停車するだけの山間の小駅ですが、昭和37年6月10日に敦賀〜今庄間の北陸トンネルが開通するまでは、全国でも有数の難所として知られていた山中峠越えの基地として、ここで峠越えに挑むための補機の連結・開放を行っていました。そのため全ての列車が停車し、機関区も駅に隣接して設置されていたのです。

いま今庄駅を降り、改札を出ると左側に「今庄まちなみ情報館」という、小規模な観光ガイダンス施設があります。
ここでは、今庄の観光の中心となる「鉄道の町今庄」と「宿場町今庄」が紹介されているのですが、施設を作る際に鉄道に関しての監修を依頼され、微力ながらもお手伝いさせていただいたことがあります。
筆者が最初に相談を受けた時には、既に展示の目玉として、今庄駅のジオラマの設置が決まってはいたものの、そこには具体的なイメージは無く、ただ展示のためのスペースが用意されていたのみの状態でした。
そこで初回の会議の時に、鉄道模型の各種スケール(具体的にはNゲージ、HOゲージ、Oゲージ)の説明と、それぞれの特徴を解説をするところから始めています。
そうした中で、Nゲージのジオラマは隣接する敦賀市が採用していることや、スケールが小さいことから見た目のリアリティさに欠けるため、今回のコンセプトには不向きという結果から最初に外れています。
HoとOゲージが残る中で検討を進めた結果、迫力及び情景の再現性という視点から、Oゲージで作ることに決定しました。
ただし、スペースの関係から駅構内全てを作ることが出来ないため、もっとも特徴的な部分である、西側の一部のみをジオラマ化することに留まってしまったのは、今もって残念ではあります。

ジオラマ化に当ってもっとも重要なのは、どの時代を表現するのか?ということ。 
検討された年代としては昭和20年代後半、同30年頃、そして同35年頃の3案がありましたが、残された資料の点数や時代背景の重要性から、北陸トンネル開通前で、もっとも今庄駅が賑わいを見せていた昭和35年頃ということになりました。
幸い、以前から進めていた旧北陸本線関係資料の収集により、当時の写真が手元に多くあったことや、また駅構内の線路配置を調べるための構内配線図も入手済みであったことから、基本的な情報については全く問題はありませんでしたが、引き続き、それらを補足するための資料として、町民の方々がお持ちの写真や、国土地理院から当時の空中写真を入手し使用しました。
特に空中写真は、建物の位置関係を知るには極めて有効な資料となりました。

こうして作られたジオラマの全景が写真1です。
手前が機関区側で、奥が駅側。右奥に見える建物はレンガ積みの機関庫ですが、設置スペースの制約から入口を表現したのみで終わってしまったのは、今でも極めて残念に思います。

写真1

写真2の手前、D51が停車している細長い屋根付建物は給炭施設で、その右隣には給水塔があります。給炭施設は屋根は失われていますが、給水塔とともに残っており、今でも駅から見ることが出来ます。一番手前の建物は機関区事務室です。

写真2

写真3は、3番線に敦賀方面行き貨物列車が到着し、本務機D51形蒸気機関車の前に前補機としてDF50形ディーゼル機関車を連結したところです。ジオラマでは表現されてはいませんが、本来は貨物列車の最後尾に後補機としてD51形蒸気機関車がもう1両連結されています。
駅本屋のある1番線には、金沢方面へと向う急行「ゆのくに」号が、峠越えを終え到着したところで、後補機を外した場面です。

写真3

写真4は駅の中心部。古レールを骨組みに利用した木造の跨線橋で、この形式のものは都心部でも昭和40年代前半頃までは、ごく普通に見れたものです。
右側の本屋の大屋根の下には売店が見えますが、当時の構内を撮影した写真が残っていなければ確認できなかったものです。
写真では、右端下に半分切れてしまっていますが、これは洗面場所です。今ではほとんど見られなくなってしまった施設ですが、蒸気機関車全盛の時代には、主要駅のホーム内には長距離旅行者のために、顔を洗う洗面場所が設置されていました。
左側の島式ホームに目を移すと、今庄駅に極めて特徴的なものが配置されています。それは移動式の「駅そば屋」。駅そばと言えば固定式のお店が普通ですが、今庄駅にはリヤカーによる移動式のそば屋があったのです。

写真4

写真5が、その拡大写真ですが、実物は福井県立歴史博物館常設展示内の「鉄道」コーナーで見ることができます。
ここで売られていたのが、そばに大根おろしを掛けた「おろしそば」で、福井の名物の一つになっています。

写真5

旧北陸本線山中峠越えに行かれる方は、ぜひ今庄駅構内の「今庄まちなみ情報館」にお立ち寄りください。
必ずや、参考になると思います。