敦賀に初めて鉄道が走ったのは、明治17年(1884)4月16日の正式開業に先立つ明治13年(1880)10月1日。
これは、敦賀から2マイルの地点まで軌道の敷設が完了したことから、工事用資材の運搬を始めたことによります。
その後、明治14年(1881)2月13日には敦賀・疋田間において、暫定的な貨物営業を始めました。
現在の北陸本線は、昭和32年(1957)10月1日の田村・敦賀間交流電化に伴い新疋田駅を通る新線に切り替わってしまったので、開業当初の線形とは大きく異なっています。
旧北陸本線(以下、旧線と記す)は、滋賀県木ノ本から雁ヶ谷、柳ケ瀬、刀根、疋田を経由して敦賀へと向かっていました。
この旧線沿線は、北陸自動車道及び廃線跡を利用した生活道路整備に伴い、一部では原形を留めないほどに改変されてしまいましたが、それでも、なお今も多くの旧線遺構が残されています。
下の図は、昭和22年発行の国土地理院地形図に関係ヶ所を加筆したものです。
敦賀駅の位置、敦賀を起点に若狭地方へ向かう小浜線、そして疋田駅とその周辺の位置的関係が理解できるものと思います。
長方形で囲った部分が2図に該当する部分です。
下の図の赤線部分が旧線の廃線跡で、線路跡の多くは生活道路として使用されています。
また、疋田駅の西側に濃い灰色の路線が2本記されていますが、これが現在の北陸本線になり、新疋田駅は地図の下方欄外に位置します。
写真1は、旧線疋田駅の跡地。
現在は敦賀市の施設になっていますが、その敷地の境界壁にプラットホームの石積みがそのまま利用されています。
つまり、道路部分が線路跡。
ホームの石積みは写真奥(敦賀方)では3段、手前(米原方)では2段が残存しています。
写真2は、写真1とほぼ同じアングルでの撮影と思われます。
写真1で建物が建っている辺りが、写真2の駅本屋の場所と想定されます。
下の写真3が撮影された当時は、北陸本線は既に新線に切り替わっており、旧線は木ノ本・敦賀間の柳ケ瀬線となっていましたが、昭和38年(1963)10月1日に新線の鳩原ループ線が完成し、上り専用線として供用を開始したことから、柳ケ瀬線は疋田止まりとなり、疋田・敦賀間はバスによる連絡扱いとなっていました。
写真4は、疋田駅の敦賀方100m程の所に現存している小さなレンガ積みの橋。
2図で「橋」と表示されている所です。
現在は、上面が道路として整備されているので、道路を歩いているだけでは見落としてしまいます。
ちょうど道路の分岐点の所なので、反対側の道路へ回り込むとよく見ることができ、写真はそのポジションからの撮影です。
敦賀・疋田間で貨物輸送を始めた、明治14年に建築されたものです。
下の写真は、笙ノ川に架かっていた鉄橋の橋脚跡で、2図で「橋脚」と記した位置になります。
写真ではハッキリと橋脚の基底部が確認できますが、土砂の堆積状況では上面が確認できる程度の時もあり、ここまで明瞭に見えることはほとんどありません。
敦賀市疋田周辺の、北陸本線旧線の廃線遺構はいかがだったでしょうか。
廃線跡と言っても、山中の雑木が生い茂った場所では無く、生活道路を利用して手軽に見学が可能な所ですので、一度ご覧になってはいかがでしょうか。