北陸線の5500形蒸気機関車

下の絵葉書は、明治時代に多く発行された鉄道絵葉書の1枚で、キャプションから北陸本線福井駅であることがわかりますが、残念ながら年代が書かれていないので、正確な撮影年は不明です。

明治後期の絵葉書

奥の方に明治33年に設置された跨線橋が見えることと、ホームの線形から下り方面の列車であることがわかります。
つまり、画面奥が米原方で、手前が金沢方になります。
そして、列車が止まっているホームと地続き(画面右端)に駅本屋があります。

絵葉書から一部拡大

写っている機関車ですが「142」と読めますから、5500形であることが容易にわかります。

5500形は、Beyer Peacock社製の2B形テンダー機関車で、明治26年(1893)以降に日本鉄道が66両もの大量採用(最初の6両は鉄道作業局にまわしたと言われている)したことから、明治後期を代表する蒸気機関車の一つと言えます。

さて、写真の「142」は、明治26年に輸入された最初のグループに入っていたもので、静岡や奥羽南線を経て、北陸線へ配置されました。北陸線への転属時期は不明ですが、その前の奥羽南線には明治39年なので、明治40年代初頭に北陸線に転属してきたものと考えられます。
その後は、山陰線や新小岩、飯田町などを経て、昭和26年(1951)に東京飯田町にて廃車となっています。

5500形は、最初に輸入され日本鉄道から鉄道作業局へ引き渡された6両全てが北陸線に転属になって来ていることから、明治40年代の北陸線の主力機の一つとして使用されていたものと考えられます。